八王子 平和・原爆資料館
豊嶋長生くんのこと
当資料館には、広島で被爆し、亡くなった当時14歳の豊嶋長生くんの血まみれの学生服が大切に保管されています。
八王子市内に住む遺族の方から寄託された貴重な遺品です。
ヒロシマ・ナガサキに触れる
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長生くんの一家
(後列右端が長生くん。
左から2人目は親類の子)
1944(昭和19)年夏撮影
豊嶋長生くん
(とよしまたけお)
被爆当時 14歳=県立広島二中1年2組
死没日:1945(昭和20)年8月7日
被爆死状況:
母敏子さんが6日、爆心から2.2kmの己斐橋近くで「お母さん、ぼくだよ」と呼んだ長生くんを見つける。
原爆の時、長生くんは同級生と一緒に広島市内・本川の新大橋(現在の西平和大橋)東詰め、中島地区で建物を壊す作業の手伝いをしていました。空襲で火事になったとき少しでも被害を少なくしようと、家を壊して道を広げる「建物疎開」と呼ばれる作業でした。大人たちだけでなく、当時12・3歳前後の中学校や高等女学校の生徒たち、およそ8千人以上が動員されていて、そのうちの6千人あまりが原爆で亡くなったとされています。
長生くんの在籍していた当時の県立広島二中1年生は全滅しました。みなさん、ちょっと自分の周りを見回してくれますか?たった1発の爆弾で、自分も含めて300人を越す人たちが一挙にいなくなってしまうことの怖さ・・・を想像してください。(原爆で亡くなったのはその年末までに広島で14万人を越すとされます。)
彼らはどんな夢を持っていたでしょうか?何になりたいと思っていたでしょうか?原子爆弾によって未来のあらゆる夢を断ち切られた少年少女がたくさんいました。長生くんもその1人です。血染めの服は、その無念さを今に伝えています。
長生くんのこの学生服が私たちに語りかける無言の「訴え」に耳を澄ませてください。ほんの14歳でどうしてこんな風に死ななくてはならなかったのか、考えてください。そしてみなさん、長生くんも含めて原爆で亡くなっていったたくさんの少年少女たちのこと、どうか忘れないでいてください。私たちが彼らのことを忘れたら、彼らはもう1度死んでしまうことになります。
「お母さん、ぼくだよ」
〜長生くんの最期を伝える手紙から
長生くんのお母さんが、当時中国の大連にいたお父さんに、長生くんの最期を伝えた手紙
『・・・顔面、手、足、肩、大火傷で眼ははれ上がって全然見えず、 ・・・全く長生の面影はなく、私が通り過ぎようとしたところ、「お母さん、ぼくだよ」と言って近づいてきました。 ・・・己斐まで行けばお母さんがきっと迎えにきていてくれるような気がして、それを頼みに来たが、やっぱり来てくれたので、うれしかった、と申していました。
連れ帰りましてからも、意識は死ぬまで明瞭でした。一睡もせず、ただ水を欲しがったのですが、火傷に水分は厳禁とのことなので、叱ったり、なだめたりしていましたが、翌7日の13時頃より意識が不明瞭になり、うわごとを申しては元にかえり、その時には不動の姿勢となり「君が代」を歌って、「お母さん、ぼく君が代を歌ったら気持ちまでスーっとしてどこも痛くも苦しくもなくなりましたよ」と申しましたのが最期、呼んでも返事なく、脈拍は止まり、呼吸も吸うばかりで、ついに私の腕の中で永遠に眠ってしまいました。
・・・全身大火傷と頭部打撲傷の痛みは一言も申さず、ただ最後まで大君の万万歳を願った愛児長生は我が子ながらも頭の下がる思いが致し ・・・』
(漢字をひらがなに直したり、意味を変えずに、一部手を加えてあります。)
テレビの番組と本になった
県立広島二中1年生全滅の物語
長生くんと300人を越す県立広島二中の同級生は原爆で全滅しました。
彼らがどこでどう死んでいったのか、遺族の手記を元に丁寧に一人ひとりの跡をたどって地元の広島テレビが、「碑」という番組を作りました。その後『いしぶみ〜広島二中1年生全滅の記録』という題名の本も(今はポプラ社から)出ています。長生くんのことももちろん出てきます。
それから、インターネットでも広島の中国新聞社=「ヒロシマの記録〜遺影は語る〜広島二中』(*)で公開されていますから、このページも読んでくれるとうれしいです。
いつか広島へ行くことがあったら、平和記念公園の西端、本川の土手に立つ「広島二中の慰霊碑」にも手を合わせてほしい、と思います。そこは、彼らが作業中に、原爆の熱線を浴びたまさにその場所です。
テレビ番組のDVD
(最初に出た)本の表紙
「雷が落ちた?」「原爆が落ちた?」
「ピカ(原爆)は人が落とさにゃ、落ちてこん」
というのは、埼玉県東松山の丸木美術館に展示されている「原爆の図」を描いた丸木位里さんのお母さん=丸木スマさんの言葉です。原爆は雷と違って自然現象ではありません。誰かが意識して(=ある目的を持って)落としたんですね。
誰が?
→言うまでもなくアメリカです。
なぜ?
→これの答えは実は難しいです。
ここには書きませんから、ぜひみなさん、考えてください。
自分の周りの人と話してください。
そして、自分なりの答えを探して見つけて下さい。